無味な日常の備忘録

思ったことをそのままつらつらと。OD・薬の話メイン。

オーバードーズを繰り返してしまう理由の話

みなさまには生きる理由というものは存在しますか?

唐突の質問でハ?と思う人が多いと思う。

生きる理由、それは人それぞれ。
今、自分にとって大事な人がいてその人を残して死ねないから。
いじめにあっているけど今ここで死んだら自分の負けになってしまうから。
守るべき存在がいるから。
推しがいる限りずっと推したいから。
なんとなく今の暮らしが楽しいから。
他にも色々とあると思う。

わたしは、先に虹の橋を渡った親族や友人に冥土の土産話をするために生きている。反面、日々死にたい気持ちも持ち合わせているのはムミのブログを読んでいる諸君なら言わずともわかるだろう。

しかし過去の傷というものは癒えるのには時間がかかり未だに希死念慮がまとわりつく日々なのだ。

わたしがオーバードーズを繰り返す理由、それは嫌な記憶から距離を置くためや現実逃避をして心が完全に壊れてしまうことを防ぐため。
心がバラバラに壊れた結果、多くの人が死を選ぶ事を知っている。自分も何度も未遂に終わったが死のうとしたことがある。生きることが辛いから。
でも、生きなければいけない。

オーバードーズは一時の、平穏な時間の前借りであり、薬が抜ければ倍で鬱が返ってくる。そんなことを知っているのに辞められないのはやはり一番辛い時間をなんとか生き延びるため。
だがいつかは薬から卒業しなければならない。
いつまでもこんな生活を送ることは不可能である。
でもどうやって辞めるの?こんな生活、もう高校三年生の時から始めて今社会人になってもodを繰り返す日々なのに。
きっとこれは、恐らく、と言うよりも完全なる依存。
前にこんな生活を辞めたくて依存先を恋人にしようと恋人を作ったことがある。だがそんなの無意味だった。新たな依存先があろうと薬に勝つものはいない。恋人ができたとてその人に全部を打ち明けられる勇気もなく本当の自分を隠し、嫌な記憶は薬に頼って少しの時間でもいいから忘れたくて、その繰り返し。

リスカをしない代わりのオーバードーズだったのに苦しくて辛くて結局、手首だとバレるからとの理由でレグカ(脚を切ること)に手を出した。それから足に傷があるせいで好きだった温泉に行くことすらできず、ただのヤク中の傷アリさんになってしまった。自分では言いたくないがいわゆるメンヘラだ。

どうしたら生きることに光を見出せるのか、自傷癖が治るのか、毎日自問自答しているが答えは出てこず、楽になるならやはり死ぬしかないのではないかと1人で静かに泣いている。

そんなことは露知らず家族は『薬なんかやめなよ』『カミソリで自分のこと傷つけるのやめなよ』と無責任に言ってくる。簡単に口では言うが解決策なんて考えてくれない。全て言葉だけ。終いには何のためにメンクリに行ってんの?と聞かれる始末。何もこちらの事なんて分かっていないし理解しようと歩み寄ってくれない。

また今日もオーバードーズを繰り返す。
じゃらじゃらと大量の錠剤を口に放り込んでは水で流し込む。喉元を直径1cmのモノが幾つも通る。
1時間程度経てばぼんやりとした時間がやって来ることを知っている。瞼を伏せその感覚に縋り付く。
早く死ねばいいのにそんな勇気もまだ無い。
本気で死にたいのならとっととこの世から去ればいいのに。
まだ心の奥底では微量でも生きたいとの気持ちがあり死ぬまでの準備ができていないんだろうなと思った。

前にブログでは自殺についての持論を述べたが死にたい時は死にたい。これに尽きる。
自分は死にたい。だが貴方には死んでほしく無い。これは生きている以上人間としてのエゴであるのだろう。

オーバードーズに限らず、リスカ. レグカ. アムカ. 根性焼き. 瀉血などは生きるための自傷であり、この気持ちを100%理解してほしいわけでは無いが、頭の片隅に、死なずに生きるための自傷癖持ちもいるのだと覚えておいてほしい。